ペライチ創業者 山下翔一のブログ~佐賀から世界へ~

100以上の法人や国・自治体とのプロジェクトを手がける起業家 山下翔一のブログです

東京で売れるものがなぜ地方で売れない(逆も然り)?東京脳と地方脳のすゝめ(21.01改定)

先日、私のツイッターアカウントにて投稿した内容が

とても好評だったのでブログにまとめようと思う。

 

東京ではじめた事業が上手くいき、地方に展開したいと思ったとき、

そのほとんどの場合、上手くいっていない。それはなぜか?

 

いい商品やサービスが東京で売れるからといって、

地方でも売れるとは限らない。それはなぜか?

 

その逆もまた然り。

 

それは「あること」を双方に理解していないからだ。

これから、地方に生まれ地方で育ち、

東京で起業し、日本全国をこの脚で歩き、

「地方に強いサービス」を生み出すことができた私が、

その「あること」の秘密について公開しようと思う。

 

そこには「東京脳」と「地方脳」の違い

とも言うべき感覚の相違があり、

お互いにこれを理解し受け入れない限り

「噛み合わないコミュニケーション」

をやっているようなもので、

いつまで経っても相容れない状態が続いてしまう。

 

東京側(と一部の地方都市の方)と地方側

「どちらが良い、悪い」という

二項対立的な視点ではなく

「どちらもそれぞれに素晴らしい」

と思う方々が増えてほしい。

そして地方と都会の双方の誤解が解け

お互いの円滑なコミュニケーションの架け橋になれればと考え

本記事を公開したいと思う。

 

 

東京で売れても地方で売れない…なぜそれが起こるのか?

 

それは東京と地方の「経済と価値観の違い」を理解していないからだ。

 

一方でなぜペライチは、地方で圧倒的に受け入れられているのか?

 

それは私が東京と地方の「経済と価値観の違い」を理解しているからだ。

 

 

東京の経済と地方の経済が違う??

同じ資本主義だろ!!

 

という意見があるかもしれない。

 

でも資本主義という「フレームワーク」は同じでも「ソフト(中身)」が違うんだ。

地方で成功したい人はココを理解しておかねばならない。

 

 

さて、閑話休題、そろそろ本題に。

 

東京は、メリットとか商品やサービスの価値で勝負しやすい。

マーケティングも効きやすい。

いわば「価値経済」がベースだからだ。

 

一方で地方はそれが通用しづらい。

なぜならば地方は「信用経済」がベースだからだ。

 

 

信用経済がベースの地方において、商品やサービスの価値である「何を買うか」よりも

「誰から買うか」の方が価値が高い場合が多い。

 

ペライチで例えると

 

「ペライチはよくわかんないけど、◯◯さんが言うんだったら使ってみるわ」

「◯◯さんがサポートしてくるからあなたにお金を払うわ」

 

そういうことだ。

 

 

そもそも、東京や都会の人たちの方が「価値に敏感」だ。

一方で地方の人の方が「価値に鈍感」だ。それはなぜか?

 

それは、地方が

「あげること(贈与)と、もらうこと(受領)が当たり前」

だからだ。

 

 

地方の有料セミナーで人が集まらないってのはそういうことだ。

「情報はタダだと思っている」からだ。

 

「えー!友達なのにお金とるのー!?うそー!?」

 

そういう感じだ(笑)

 

 

ちなみに「地方は物ぶつ交換の文化だ」ってよく言われるよね。

でも地方出身者の私から言わせると「その感覚は違う!!」と叫びたい。

 

交換になるのは「結果」であって、

「それを求めている」わけではない。

 

正確には地方は「お互いに与えあっている」のだ。

  

 

「物ぶつ交換」というのは、

交換することを前提として「こちらの提供する価値」と「相手の提供する価値」が

釣り合うもしくは許容の範囲内に収まることで「交換が成立」している。

 

地方というのはテイクするために(何かをもらいたいから)ギブするのではなく、

ギブしたいから(与えたいから)しているのだ。

 

 

つまりお互いにギブしているのであって、

結果だけみると「交換になったように見える」のだ。

 

でも実際は交換ではないから「相手からもらうことを期待していない」のだ。

 

 

例えば、私が田舎の人で、魚を釣ってきて近所の鈴木さんにあげたら、野菜をくれた、としよう。

私は野菜をもらいたいから魚をあげてるわけではなく、あげたいからあげたのだ。

 

地方は「価値交換」ではなく正確には「与えあっている」のだ。

 

 

信用経済がベースの地方において、

信用のある人同士の贈与は「当たり前」に行われる。

同時に「受領」も当たり前に行われるのだ。

 

そしてその贈与と受領は、

固定の誰かから誰かへ一方通行で行われるものではなく

インタラクティブ(双方向)に行われるものである。

 

だからこそ地方の人は

「あげることも当たり前」であり

「もらうことも当たり前」なのだ。

 

 

あげることも・もらうことも当たり前だからこそ、

地方の人は「モノやサービスの価値」に鈍感であり、

それよりも村社会における信用の方を価値が高いと感じるのだ。

 

つまり地方とは、モノやサービス自体の価値よりも

「人々の “善意と信用” によってモノやサービスが流通する経済」

と言える。

 

 

それを踏まえると、

ペライチはツールとしてのバリューはさることながら、

サポーターという方々をベースとした

「信用を大切にするサービス」だからこそ、

日本中に、特に地方に広まっているのだ。

 

言い換えると「ツール」でしかないペライチが、

サポーターという「信用のフィルター」を通すことで

地方に受け入れられている、ということだ。

 

 

しかも本来であれば我々が最低数ヶ月、

場合によっては数年かけて積み上げるべき信用、

これをサポーターさんが我々の想いに共感することで

力を貸してくださっているのだ。

 

同じユーザー(やペライチではサポーターも)でも、

東京と地方では「感じている価値が違う」のだ。

この違いを理解していない人が多い。

 

 

この東京と地方の違いは、

ペライチが大切にしている「コミュニティ」においても

顕著に現れ、ケアしないといけない。

 

最近はコミュニティという言葉がバズワードのごとく

いろいろなところで使われており、

コミュニティの専門家なる人たちも出現してきた。

 

正直に言おう

「その辺のコミュニティの専門家よりも、

私の方がコミュニティを正しく語れる」

と思う。笑

 

 

大抵のコミュニティ論は東京を中心とした感覚のものが多い。

ひとえにコミュニティと言っても、東京と地方ではかなり違う。

全国的に展開するコミュニティの場合、そこを理解しておかないといけない。

 

その違いを説明するためには、まず、

東京(や一部の地方都市)と地方(いわゆる田舎)での

「人の誕生の瞬間」から考える必要がある。

 

 

都会において、人が生まれるとき、その人は「個」として生まれてくる。

隣に住んでいる人の素性すら知らない分断された社会において、

地域という概念は希薄化し、生まれたときから個を強く意識するのが都会だ。

 

だからこそ都会は「好きなことで生きていく」だったり

自己実現をしよう」みたいな生き方だったりコピーは刺さる。

コミュニケーションの主体が「個である自分」だからだ。

 

 

だからこそ都会は、自分を生きる的な生き方が「すばらしい」と称賛されやすい。

東京には起業家だったりスタートアップが多く生まれるのは、

こういう背景も一助となっていると思っている。

 

このような社会においては「自分がまず幸せになる」という意識が大事だ。

 

 

一方で、地方(田舎)はどうか?

地方は生まれた瞬間から「誰々さんちの子ども」なのである。

 

つまり、この世に生まれた瞬間から「集団の一部」であり、

常に「集団を意識したコミュニケーション」が必要となるのだ。

 

だからこそ「自分一人が幸せになる」や「自分の会社だけ成功する」

という意識ではなく、

「みんなで一緒に幸せになろう!俺がんばるからさ!」

というコミュニケーションが重要になるのだ。

 

そこを間違うと「でる杭」は打たれる。

ハレーション(反発)が起きるわけだ。

 

自分だけ成功しようと思うと、周りは嫉妬ともゆうべき感情をもつ。

地方で成功するためにはこの

「地方特有の嫉妬のマネジメントを怠らない」

ことも重要だ。

 

 

しばしば、東京の起業家が「東京っぽい価値観」のツイートをしたら

「お前は自分のことしか考えてない!」的な批判をしている人をみる。

 

そのような人は地方の人が多いような気がしている(笑)

それくらい価値観やコミュニケーションへの配慮が違うということだ。

  

 

ちなみに、都会においても「家族」というのは特殊なもんで、

集団としてある種の「地域っぽい特性」をもっていて、

家庭の外では「自分を生きる」が称賛されている東京においても

家庭内では「家族のことも考えろ!」となることを押さえておかないと

「嫁ブロック」「姑ブロック」みたいなことが起こるのだ。

ここは注意が必要である。

 

 

地方というのは元々は、閉じたクローズドな場所(地域)のなかで信用によって経済が回っていた。だからこそ、昔は地方は経済的にも豊かで、地方には二代目、三代目など何世代にも渡って受け継がれる会社が今でも多く存続している。それは信用が相伝されてきたからだ。

 

京都や一部の島国は特にそれが顕著だと感じる。そういう社会やコミュニティでは、いくら東京の感覚で価値が高いものを売ろうとしても、たとえ全く同じものを安い金額で売ろうとしても信用がないと売れないのだ。

 

「あなたのその商品、私ならあなたの既存の取引先の8掛けで卸せますよ!そしたらもっと安くお客さんにも提供できて利益ももっとでますよ!」

 

こんな文句は、東京であれば効果てきめん、すぐに商談成立である。

しかしながら、信用を極度に重んじる経済においては、実はこうなる。

 

「はあ!?バカいってんじゃないよ!!

○○さんのところはね!祖父の代からお世話になってんのよ!!

だから私たちは地域のお取引先の皆さんから高く買うために

信用(ある種のブランド)を大切にして高く売ってるのよ!!」 

 

昔ながらの地方の地域やコミュニティの経済をシンプルに言語化するとそういう感じだ。

だから発想の起点が東京の人たちとは逆なのだ。

 

自社が利益を得たいから安く買って高く売る、ではなく、

「お互い様でお取引先も守りたいから」高く買って高く売る。

なのである。

 

しかしながら、残念ながら、この信用経済というのは、それをとりまく日本全体の景気が悪くない状態(個人や企業が余裕のある状態)にこそ上手く機能する。

 

残念ながら今の日本は、バブルがはじけ、景気は踊り場どころか、下降しかけているのが実情だ。その社会において地方を代表する信用経済は、企業や個人の経営や生活が苦しくなることで「信用よりも価値を優先する」ということが起こってしまう。

 

つまり「信用経済の価値経済化」である。

 

さらに、ITの浸透はそれをさらに加速させてしまった。

 

私の両親が営んでいる印刷業界で例えると「印刷は山下さんのところにお願いしたい!」でなんとかなっていたものが「ちょっとうちも苦しくなってきたんで、紙やめてネットにします」とか「コストカットしなきゃなんで、申し訳ないですが安いネット印刷に切り替えます」になっていくようなものだ。

 

ひと昔まえは、消費のほとんどが地域でなされていた。

閉じたコミュニティでお金はながれ、外にでていかなかった。

流れれば流れるほど、地方は潤い、だから地方には小金持ちが多いと言われていた。

 

しかし今は違う。

消費の多くが地域でなされなくなってしまった。

 

ケータイやインターネットの通信料、

ゲームやスタンプなどのデジタルコンテンツに課金し、

お金のかからなかったテレビではなくお金のかかる動画サービスを観あさり、

身近な商品ですら、大手のチェーン店やネットで買っちゃう時代。

 

気づけばそのお金の落ち先はあなたの住む地域ではなく「東京や海外」になってしまった。

 

そのお金の行き先はどんな奴等か!?資本金を多くもっていたり、マーケティングに強い、価値が何かを知っている、そういうプレイヤーにお金が流れてしまったのだ。そういう企業が地方の信用経済のもろくなった部分を突き刺して地域企業をどんどんひっくり返していったのだ。

 

ーー(ちょっとペライチの創業からの想いの話)ーー

だからこそペライチは創業当時から一貫していい続けたのは「我々は教育の会社だ」ということ。

 

ペライチというツールをただ提供して終わり、ではなく、ツールを使うなかで、そしてペライチサポーターを通して、地域の方々自身が成長していくような仕組みになっている「教育サービスを提供する会社だ!!」といい続けたのだ!

 

今こそ!地方にこそ!対処療法的なサービスではなく、教育という根本治療が必要だと創業前から私は思っていたからだ!

 

ペライチと他社のサービスは何が違うのか!?

それはその圧倒的な想いと圧倒的なアプローチの仕方が違うのだ!!

 ーー(ちゃんちゃん、ペライチの話はここまで)ーー

 

 

起業前に私が観た「地方が疲弊していく様」は、ぐるぐる回っていたそうめん流しの機械の底のいたるところから水漏れが発生してきて、流れる水の量がみるみるうちに減ってきた。そんな寂しい光景のようだった。

(ちょっと例えが古くてごめんなさい、昭和生まれなんで笑)

 

 

だからこそ、地方自治体や地方企業こそ!

マーケティングを「武器として」使えるようになってほしい!

そう切に願い、説い続けてきた!!!

  

なぜならば、徹底的な顧客視点を身につけることで、

 

①矛として

自分たちの地域の魅力を知り、そして自分たちの地域では無価値なものでも外部の価値を感じてくれる人たちに魅力的に届けることで価値を生みだす(無価値の価値化)。さらに、自分たちの地域内においても、価値を提供する意識をもつことで、信用経済のなかで、さらに信用を深めることもできる。

 

②盾として

マーケティングを身に着けた外的(主に都会や海外の企業等)から身を守るため。信用経済がベースになった地方においても、経済的に苦しくなってくると、あらゆる企業や個人において「信用」よりも「価値」を優先してしまう。その点で、地方においてもきちんとマーケティングリテラシーを上げておき、きちんと「価値も提供する」という意識やスタンスが重要なのだ。

 

 

このようなことから、都会でいくら価値があって売れている商品やサービスでも、都会と地方における経済や価値観やコミュニケーションの違いを理解しておかないと、地方展開はなかなか困難だ、ということがわかってもらえただろうか?

 

逆の地方においても、ネットを活用し都会も含めた広い範囲で拡販をしていくとき、ただ売り方だけをテクニックやツールでおぎなっても「売れずらい」ということだ。誤解を恐れず言ってしまえば、地方の狭い地域においては価値をさほど生まなくとも信用で物は売れる。

 

しかしネットの世界では同様の商品・サービスは溢れかえり、信用も全くないなかで買いたいと思ってもらわないといけないのだ。

 

しかも「価値に敏感な人たち」に。

 

だからこそ「私たちの(商品orサービスor地域の)価値とは何か?」を問い詰め、自分たちでその答えを勝手に導くのではなく、素直にその答えをもった相手に聴いてみること(歩み寄ること)が大事なのだ。

 

 

地域課題の解決においても、地域の者とよそ者がうまく連携してかねば、深刻な課題ほど解決が難しい。今や地域といえど「人も物も金も情報も」全てその他の世界とつながってしまっているのだから。地域のなかだけで解決してやる!と思ってもなかなか難しいのだ。

 

そんなときにも今日のこの記事を、一瞬でもいいから思い出してほしい。

 

 

東京(および一部の都会)と地方のどちらが良い悪いというわけではなく、

違うことをお互いに理解をして尊重することがとても大切です。

 

前述の「物々交換」に例えた話しを例にとって理想の姿を説くならば、

 

「あげるときには相手のことを想い、相手の喜ぶものを贈り、

 もらうときには何をもらっても喜べる素直な心をもとうね。」

 

という感覚かもしれない。

 

それが東京脳、地方脳、両方の素晴らしい感覚を理解し、体現する姿かもしれない。

 

今回の投稿がそれを体現するきっかけとなれば幸いです。

 

 

そしてもう一つ、今回の投稿で知ってほしかったことは……

 

「ペライチサポーターって凄いんだぜ!!!」

 

ということだ(笑)

 

長らく休止していたペライチサポーターの新規申し込み、2020年12月にやっと再開したのでサポーターになるなら今がチャンス!!!

 

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