ペライチ創業者 山下翔一のブログ~佐賀から世界へ~

100以上の法人や国・自治体とのプロジェクトを手がける起業家 山下翔一のブログです

一生分の母孝行

超久々の更新で恐縮です。ちょっとだけ自分と向き合う機会がとれたもんだから、久しぶりにブログ書いてます。
今回は経営というよりは、自分の原点について。私の『母』について書きたいと思います。

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昨夜はたまたま予定が空いて、たまには仕事ばかりせずに、ちょうど私が創業した会社(ペライチ)で2ヶ月間修行中の母を大塚の名店につれていき、「一体どれくらい振りだろう?」というくらい久しぶりに2人で食事にいきました。
思えばうちの家は経営者家系で、小さな頃はまだまだ両親の会社も小さく、お世辞にも豊かな暮らしだったとは言えませんでした。小学生低学年の頃までは、ご飯を食べたくても家計に迷惑をかけまいと子どもながらにガマンしていたくらいです(笑)
しかしながら、裕福ではなかった一方、愛情を人一倍を受けて育ったという充実感と幸福感はとーってもあります。母親からは特にですね。「俺は世界で一番愛されてるんじゃないか!?」と思っていたくらいです。(周りからは過保護と言われたこともありましたが笑)
会社が小さいと土日や祝日限らず経営者自らが働かないといけません。母も平日は夜遅くまで、休日もよく客先に行ってました。でもそんな客先に当時は赤いルノーの助手席に「ちょこん」と乗って、客先についていっては、スーパーシャイな子どもだったので母にしがみついていたのを鮮明に憶えています。幼い頃は常に母にくっついていたのを憶えています。

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小学生低学年のとき、家の近くの川でカニ釣りをしてたら川に落ちてしまって、塀が高すぎて(2m以上)、あがれないでいたところ、たまたま神なタイミングで博史(当時40歳くらい)が車で通りかかり引っ張り上げようとしてくれたんだけど、引っ張り上がらず(笑)困っていたところになんとこれまた神すぎるタイミングで母が通りかかりました。
当然、力は父より劣るのですが、このときの母は火事場の馬鹿力とはこのことで、子どもの私を「ひょい!」っと一気に引っ張り上げてしまいました!このときの驚愕たるや!!(この頃から親父の家庭内評価が下がった気がする(爆笑))
母はいつもタイミングがいいんです。本当に驚くほどに!!!
ヒドイ雨や雷、台風、ヒョウが降るときは下校のとき「なんかお母さんが通りかかりそうだな〜」なんて思ってるとほぼタイミングよく通りかかるのです!!そして友だちも一緒にピックアップして送ってくれる、なんてことが何十回あったことか!!
ちなみに、当時の両親の会社から学校までは車でそれなりの時間かかるので気軽に帰ってくることは難しかったはず。でもタイミングみて帰ってきてたんでしょうねぇ。。
 
いまいろんな方に『やっぱり一番大切なのは愛だよ!』とか『子どもはバカでも運動できなくても愛してあげてよ!』とか言ってますが、まさにこれは自分自身が
『勉強嫌いでしょうもない自分を何やっても否定せず愛してくれた親に感謝しているから』
なんです。
何の自慢になりませんが、私は小学1年生の冬に自分で決めたんです。
『一生、宿題はやらない!!!!!』
と(笑)
それ以降、学校からだされる宿題という宿題をほとんどやった記憶がありません(笑)
当時は今みたいに「体罰だ!」なんてなかったですから、宿題をしなかったことで先生からゲンコツも死ぬほど食らいましたし、おでこに不真面目なレッテル(スタンプ)も死ぬほど貼られましたし、廊下に何度正座させられたことか(笑)
それでもナルトばりに『自分は曲げねぇ!!!!!』という頑固さは人一倍でございました。絶対しなかったですね。

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子どものクセに指示されたりとか、強制されることがマジで嫌いでした(笑)
『子どもだけど俺は一人の人なんだ!!!』
とずっと思ってました(笑)
三者面談でも毎回のように
「翔ちゃんはテストは良いんだけど、宿題を全くやってこないんですよね(苦笑)お母さんからも言ってやってくださいね(切なる願い)」
と言われていました。
自分が叱られるのは慣れっこでどうも思わないたちでしたが、毎回「宿題」というワードで責められる母にはけっこう申し訳ない気持ちでした。そんな先生から責められる母から発せられる言葉は毎回決まって
「言って聞かせます。」や「宿題しなさいよ!」
ではなく
「すみません。」や「申し訳ありません。」
だった。
(これで何度目だ。。さすがにお母さんも怒るかな。。。)
と思っていても、そんな沈んだときこそ母が言うのは
『たまには外でご飯たべようか!』
なんだよな。
息子が宿題せずに怒られたときも、喧嘩をして悪いことをして呼び出しを食らったときも、母だけはいつも自分の味方だった。この文章を書いてて自分が泣けてきた。
スーパー変な子どもだったけど、グレずに真っ直ぐに成長できたのは、他でもない、母のお陰だと断言できる。
本当にありがたい。感謝している。

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18歳になって大学入学を機に九州をでて一人暮らしをはじめた。そのときも母は1週間くらい休みをとり、大学のある広島の田舎で家具や家電を買い、生活雑貨を買い、食料を買い、料理の仕方、洗濯の仕方、生きていくための一通りを伝授してくれた。一人暮らしにワクワクでいっぱいの息子とは対象的に、母は子どもが初めての一人暮らしということで心配でならなくて(あとから親父から聞いた話だが)、帰りの車で「かわいそう」と号泣していたそうだ。あのときの自分に「涙の一つも流せ!」と叱ってやりたい。。笑
(洗濯で思い出したが、一人暮らしをはじめた当初、全自動洗濯機の使い方がわからずに自動で水が流れて止まることを知らずにしばらくは元の蛇口を手動で開閉していたのだが、それも今となっていはいい想い出だ笑)
大学時代も相変わらずの親不孝な息子で「お金がない」と実家に帰るのは1〜2年に1度くらい。それに見かねて少しでも息子と一緒にいる時間をつくろうと、両親は何度も車で片道5時間かけて広島に来てくれた。
そして帰省したときも「送ってく!?」と気軽に言いやがった息子の言葉に「しょうがなかなー(仕方ないなあ)」と言って何度も佐賀から広島にドライブがてら送ってくれた。
一人暮らしをするなかで初めて、家事の大変さ、生きていくことの力強さを感じ、仕事と家事の両立なんてとんでもないと感じ、何十年も誰よりも早く起きて誰よりも遅く寝て仕事と家事を両立させてきた母の偉大さを知るのであった。
 
社会人になってからは上京し、さらに仕事と遊びに明け暮れ、あまり実家には帰らない親不孝は健在だった。生まれつき体だけは強く、これといって病気もせず風邪すらもほとんどひかずに育ったもんだから、ちょっとでも体調を崩すと母は
「大丈夫ね!?お母さんが飛行機で行こうか!?」
といって俺の返答をまたずに身支度をする始末(笑)
そこでも口では「いいよ〜俺ももう大人なんだからほっといてよ〜」と言いつつ、知らぬ人ばかりの都会で孤独に戦う若者にとっては、『何をやっても許される、戻れる場所』というのはどれほど勇気を与えてくれたことか。本当に感謝しかない。
 
そんな親不孝な息子にも、親孝行のチャンスが到来した。
ペライチをリリースして1年くらい経ったとき、両親の会社をコンサルする機会をもらった。経営者としては未熟すぎる私ではあったが、私なりに前職時代から自社の社長や、クライアントやパートナー企業の経営者たちと仕事をするなかで、彼らの思考や動きをかなり学んできた。
そして、人として必要なこと、経営に必要なこと、世の中にとって必要なことを体感してきたつもりだった。その経験をもとにコンサルをさせてもらった。
コンサルをはじめた当初は正直、不安というか不満でいっぱいだった。。地方で経営するというのは大変なことで、もう60年以上も会社を続けている事自体が凄いことなのだが、長く経営しているからこそ、失ったものもある。当時は両親と話をすれば一言目にはグチ、二言目には言い訳、三言目には弱音、そんな状況だった。
「こんな経営者経験もない若造が生意気だ!」
「長年経営した先輩経営者に対して失礼だ!」
そう思いながらも、1年半ほど前に私の実家で取締役陣全員を正座して激励したことがあった。
「こんなこと言いたくない。。」
「身内やし。。」
でも我々はどこまでいっても経営者家系!
「まずは経営者自身が変わらねば会社は変わらぬ!」
「従業員さんのために経営者自身が背中を見せなくてどうする!」
そう思って、つらい気持ちを押さえて、両親含めた大先輩方に檄を入れたことは一生忘れない。逆にあのときにそう言った自分自身の責任を、自分自身の振る舞いを、今でもときどき思い出すいいきっかけを与えてもらった。 
 
なんとか空気を変えねばならんということで、ペライチを導入してみた。そこで収益を上げるということもそうだが、それよりも『新しいことにチャレンジする心』『未知のものや最先端なことにトライするワクワク感』そういうものを取り戻してほしかった。 
経営者自身がワクワクする未来を描けなくて、スタッフの皆さんはワクワクするのだろうか!?
経営者はいろんなリスクとって、スタッフさんたちの生活を第一に考え、養う責任を負っている!だからこそ自分たちの唯一の特権である
『何より自分たちがワクワクするビジョンを未来を描くこと』
経営者だったら、それだけは行使しないともったいないのである!
 
結論からいうと、これがとても良かった!!!!
新しいことにチャレンジすることで、経営陣のモチベーションも上がった!新たな収益性の高い事業の柱になりうるものも見つけた!ITに強い外部のパートナーとも連携ができて、印刷という領域から会社としての可能性を大きく広げられた!そして業績もとても良くなっている!!
経営陣の意識が変わり、ポジティブになり、思考に柔軟性が生まれたことが、何よりも素晴らしい!!!
そしてあるとき、母から一通のLINEが届くのである。
 
『翔一さん、相談ですが…
 ペライチの習得、サポーター、その先を目指して
 1、2ヶ月ペライチで修業させていただくことは
 出来ますか?』
 
!!!???
どういうことだ!?笑
修行!?サポーター!?
それに「その先」ってなんやねん!!!!笑
 
もういろんなことが想い巡るよね(笑)
 
「サガプリンティング(両親と叔父の会社)は許してくれるのか!?」 
「ペライチのみんなは温かく受け入れてくれるのか!?(50代をスタッフとして受けれたことがない)」
「スタートアップのスピード感に母は耐えられるのか!?」
「スーパーアナログな会社からスーパーデジタルな会社に56歳の母が飛び込んでやれるのか!?!?」
「腰が弱い母は一日中座って仕事ができるのか!?!?」
「方向音痴の母に東京で生活していけるのか!?!?」
 
などなど心配ごとはキリがない!!!!
とはいえ、母のやる気に押され、両親と叔父の経営する会社とペライチのみんなの協力を得て、母は2ヶ月間ペライチへの修行の旅にでたのである。。。
 
そんな母のペライチ修行日記はコチラ(笑)

 

今回の件は、なかなか親孝行をしてこれなかった息子にとって(あと、ペライチでメディア編集長として働く妹にとっても)、とてもいい機会をいただいた。

これを実現できたのは、母が取締役をつとめる会社の皆さんのお力添え、そしてペライチのみんなの温かい心と協力があってこそ。(スタートアップの創業者の母が2ヶ月修行に来るなんて聴いたこと無い!!!)
本当に感謝である。
そして1ヶ月半の修行によって、母はものすごく成長している。昨日のご飯のときに話をして心から思った。
私は母の性格は熟知している。良いところも悪いところも。
経営において、マネジメントにおいて
「よくないなー。。でも母の根本の性格だから直らないだろうなー。。。」
と思ってたことが、従業員さんの気持ちがわかったことで、悟りをひらいたかのように変わっていて正直、私が一番驚いた!!!
やっぱ人って変われるんだなあ!!!!
何歳からでも成長できるんだなあ!!!!
と感動した!!!
 
母の修行はあと2週間続きます。
こっちにいる間に少しでも親孝行できるように努力するとともに、私も母より20以上も若いのにまだまだ頑張らねば!!と身が引き締まる思いです。
日常に感謝をして、今日もたのしもう!!!!!
【あなたは親孝行できていますか?】