ペライチ創業者 山下翔一のブログ~佐賀から世界へ~

100以上の法人や国・自治体とのプロジェクトを手がける起業家 山下翔一のブログです

皆さんから見たら私が不自然かもしれないが、私から見たら皆さんが不自然です

ブログが久しぶりすぎて、逆に新しい。Hello Weblog
 
久しぶり過ぎるので、ここ数年めっちゃ言われる下記の質問に対する違和感をとりとめもなく書いてみた。
 
「なんでそんなにたくさん肩書きやプロジェクトがあるんですか!?」
「なんでそんなに名刺多いんですか!?」
 
ってよく不思議がられる。
 
答えは簡単で「増やそうと思ってない」から。
 
つまり「そこに興味がない」からです。
 
増やそうとも思ってないけど、
日々たくさんお願いされるし
増えることにも減ることにも興味がない、
からです。
 
むしろ名刺の数は減らしたいと思っている。
名刺交換と補充が大変だから。
でもどれもステキな法人で困る。。笑
 
立ち上げたり関わっている法人やプロジェクトは百何十かあるのだが、いま持ち歩いている名刺は選抜した13法人+2プロジェクトのもの。
最近は配るのが面倒なので「ペライチ+2〜13で好きな番号選んでください」ってお伝えしている。
 
ちなみに、ここ1年くらいはほとんど増やしていない。
ペライチやわくわく課はじめ既存に注力したかったので。
もちろん、それでもボランティアや御用聞きは支障のない範囲でたくさんやっているのだけれど(特に国や地域や若者のためになること)。
 
自分が正しいとか凄いとか1ミリも思ってないし、
そういうことを言いたいわけではないし、
得意不得意やその人の役割も優先順位も志向性もあるのだが、
私が言いたいのは、
 
「みんなが同じことしてるって自然界的には不自然だなぁ」
「なんでみんなそんなに一つのことだけをずっとやれるんだろう!?みんな右向け右で同じ方向向けるんだろう!?不思議だなぁ」
 
だ。
 
これは別に仕事とか事業に限ったことではなくて、すべてのことに対して。
社会には「べきだ」と「当たり前」が蔓延している。たとえば、
 
人としてこう在るべき、生きるべきだ。
一つのことに没頭・全うするのが当たり前だ。
一人の人を愛するのが当たり前だ。
一つの地域・家に住むべきだ。
よそ者は口を挟むべきじゃない。
子供は大人から教えを受けるべきだ。
子供は学校にいくべきだ。
宿題はすべきだ。
大人は働くべきだ(働くということもわかってないのに)。
お金は稼ぐべきだ。
貯金はすべきだ。
他にも死ぬほどある。べきだ星人が蔓延している。
 
凄いよね、幸せにも愛にも命にも学びにも制約ってあったのか?
知らなかった。人間は神様なのか。
 
念のため明言しておくが、上記のことが悪いと言っているわけでもないし、もちろん私も準じていることもある。「それが絶対だ」ということ自体が自然ではない、と言っているだけ。それをやる人もいて、やらない人もいる。それが自然。
 
人間って、統治や繁栄をするために、様々なものを創ってきたよね(もちろん、統治をするためにつくられていないけど、結果利用されているものも含めて)。
 
言語、概念、定義、宗教、主義、法律・制度・ルール、人為的法則、通貨、モラル、仕組みやシステム、普通・一般、統計、組織、理想像、評価、美しさ、技術 etc.
 
これらが、人を中心に(かつ多くのものが一部の者の利益や名誉やエゴのために)設計され、それが人のなかで適用され、人と人を比べそこに評価が加わり、優劣をつくり、自由を奪い、貧した者は生きるために他人から奪い・傷つけ、裕した者はそれを手放すまいorもっと欲しいがために奪い傷つける。
 
結果、人は自由も、豊かさも、幸せも手にしていないと思い込む。
偉大な先人たちが創りたもうた「当たり前」という大いなる縛りによって。
そして、自然ではない人間は、人に対しても、それ以外の生命や環境をも脅かしてきた。
 
人とは何様なのだろうか?
 
 
まだ時を戻す力は自分には宿っていないが、話は戻そう。
 
「私と皆さん、どちらが自然だろうか?」
「どちらも自然」と本当は言いたい。
 
だが、私を含め、残念ながらほとんどの人間は自然ではない。
 
人が人として、今の一般的な人なりの生活を送るには、極めて不自然なことが発生してしまう。
 
それをまず認識したい。
 
その上で、
 
「私と皆さん、どちらが自然な生き方をしているだろうか?」
 
おそらく、皆さんからみたら私は不自然に映っていることだろう。
 
たくさんやっている→がんばっている
誰かのために→自分を犠牲にして
 
逆です。
私は私の自然な状態を誰よりも理解している。
私は自分の自然にピュアに生きている。
この生き方が私の自然です。
 
思い出してほしい。
 
おぎゃあ〜と生まれたとき、
私が上に挙げた先人が創りたもうた数多のバイアスを
あなたは意識していただろうか?
それに縛られていただろうか?
 
きっと答えはNO。すべてが自由だったはずだ。
 
バイアスに支配された人の世界では、
出逢いは主催者・仲介者という不自然な存在により恣意的に場がつくられ、
参加者はその場のコスパを考え「元をとろう」とし、
そのコスパを良くするために主催者・仲介者はあの手この手を考える。
 
その時点で私の見ている景色とは全然違う。
 
あらゆるものが自由な世界では、
すべての出逢い(人以外も含めて)がクリエイティブである。
 
すべての出逢いにインスパイアされ、
すべての出逢いから学びがあり、
すべての出逢いからいろんな妄想や活動が生まれる。
 
逆に問いたい。
 
「なんでそんなに生まれないのか?」
 
それが根本的な問いのはずだ。
私が特殊ではなく、自然界からみたら皆さんの方が特殊だと思うのです。
 
私は3割バッターではなく、
10割バッターを目指したい。
 
そのためにはどんなバットも持つし
スローモーションに見えるデバイスだって身につけるし
対戦相手と仲良くなって手を抜いてもらうこともあるだろう
時には野球のルールだって変えちゃう。
 
だってルールとはみんなが感じているものであって、
本来は自然界にルールなんてないからね。
感じ方を変えればルールが変わる。
 
私は
 
すべての出逢いを未来につなげたい。
 
すべての出逢いから希望を生みたい。
 
すべての出逢いを相手に感謝いただけるものにしたい。
 
そう願います。
 
 
不自然なものが当たり前ということは、
そこにいろんなパワー・力学があるということ。
 
そこを破壊しようとするのではなく、
そのパワーも含めて包み込みたい。
 
その器量を手に入れるためには、
社会に存在するあらゆるバイアスを感じつつも、
無効化する人間になりたい。
 
「こいつなら無効化しても仕方ねぇな」
と思われる人間になりたい。
 
透明という意味での「色がない」ではなく
色が重なりすぎていて何色かわからないという「色がない」
 
これを目指したい。
 
これは自然だ。
 
すべてのものに、色があるようで特定の色がない。
その人の色を勝手に決めつけているのは、
本人ではなく、そう、それを見ているあなただ。
すべての色を受け入れたい。
 
すべてのもの、存在の気持ちを感じてみたい覗いてみたい、
私の根底にあるその知的探究心がいろんなものを突き動かしている。

【ペライチに関する重大な発表】

だいぶご無沙汰してしまい、久しぶりに筆をとりました。

今日は私が取締役会長を務める株式会社ペライチにおいて、とても大きな発表をしたので、ご報告とそれに至った経緯、そして今後に向けたお話しをしたいと思います。

 

まずは、今回の発表の事実からお伝えします。

 

  • 東証一部上場のラクスル株式会社(本社:東京都品川区、代表取締役社長CEO:松本恭攝)を引受先とした第三者割当増資により、4.9億円の資金調達を実施。
  • ペライチ社の新役員2名および監査役1名をラクスル社から迎え入れました。

 

これだけ聞くと「黒船感」があるかもしれないので、ここに至った経緯と意図をご説明したいと思います(笑)

 

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ラクスルさんとはどんな会社か?

そもそもラクスルさんは、どんな会社なのか?を簡単に触れておきますね。

 

ラクスルさんは印刷の「ラクスル」を始めとして印刷・物流・広告のシェアリングプラットフォームを運営されている会社です。2018年5月に東証マザーズに上場され、2019年8月に東証一部に鞍替えされました。ここ数年はTVCMもよく流れているのでご存知の方も多いのではないでしょうか。

 

私自身、ペライチを起業する前の広告会社の社員時代からラクスルさんを使わせていただいております。もう7年くらい前からですかね。当時はITスタートアップというイメージよりは「めちゃくちゃ安いネット印刷屋さん」というイメージで、私自身が起業する前後辺りでビジネスモデルを知り「なるほど!」と思ったことを今でも鮮明に憶えています。

 

実は私の実家の家業も印刷会社でして、祖父が創業し父が40年以上社長を続けている創業64年目?の地域に根づいた会社です。

 

元々私がペライチを起業した想い自体が『父のような超アナログ人間が多い印刷業界をはじめ、日本中のITリテラシーの低い企業や個人のITリテラシーの引き上げ、そしてその先のデジタルを活用したマーケティング民主化』でしたので、ラクスルという会社自体が私にとってはとても興味深く、ずっとご一緒したかった方々だったのです。

 

 

今回の出資に至る経緯

実は、ラクスルさんとの接点は今回が初めてではありません。

 

心理的なところでは、前述の起業時にもそうですが、元々ペライチリリース前から役員では「ラクスルさんとはサービスの相性がいいよね!Webのペライチと紙のペライチを連携したいね!」なんて言ってたし、実際にユーザーさんからは「ペライチでつくったページをチラシにしたいんだけどできませんか?」という相談を私だけでも100回はいただきました。

 

そういう意味では、創業当初からペライチからラクスルさんに心のなかでラブレターは送っていました。

 

(そして実は、ペライチリリース後の1周年ユーザー感謝祭の会場はラクスルさんのオフィスをつかわせていただき開催しました!)

 

そして、よりラクスルさんと近づいたのは、前回の増資ラウンドにて、ラクスルCFOの永見さんに出資いただいたことが大きかったと言えます。今回のラウンドも、その永見さんとのディスカッションの中で、お互いの会社のビジョンや方向性が近しく共感しており、サービスも互いに親和性がありそうというところから、本件の検討に至り、先方の取締役の皆様からも受け入れていただけました。

 

 

ラクスルさんからの出資を受け入れた理由

今回の増資に当たり、社長の橋田主導で、ラクスルさん以外にも複数の会社さんとお話をさせていただいておりました。その中でなぜ、我々がラクスルさんとご一緒したいと思ったのか?それは次のようなことが挙げられます。

 

  • 今回のご相談をさせていただいたラクスル関係者の皆さんのお人柄が素晴らしかった。
  • ラクスル関係者の皆さんがペライチのビジョン、想い、大切にしている価値観を尊重してくださった(サポーターの皆さんの素晴らしさに心から共感いただいたことも大きいです)。
  • お客様の属性がとても類似し、サービス領域が異なりかつ親和性が高い。かつ現時点でペライチが課題としていることを、ラクスルさんが既に解決してこられた(グロースの再現性の高さ)。
  • ラクスルさんの場合、資金だけでなく、新役員の安井さんと白石さん、そして新監査役の永見さんという3名の超強力なスペシャリストを筆頭に、様々な方がペライチにジョイン(関わり方は様々ですが)してくださること。

 

やはり、事業や組織の成長は「人」だなぁとつくづく思います。ラクスルの御三方とのディスカッションをじっくりとここ2〜3ヶ月は続けてきましたが、その中で、大きな信頼と期待を抱くに至りました。

 

 

サポーターやユーザーの皆さんに安心して欲しいこと

本件において、サポーターさんやユーザーさんにはプラスの側面ばかりだと思っています!具体的なことは現時点では言えませんが、たとえば次のようなことが想定されます。

 

  • 資金調達をしたことにより、優秀な様々な人材の採用や委託が可能になります。つまりそれはペライチというサービスのレベルの向上、ページ制作後のユーザーの皆さんの成果や売上等の向上にさらに寄与できることに他なりません。そしてその先のペライチ社のビジョンである「皆さん一人ひとりの笑顔、成長、幸せの実現」「日本全体のITリテラシーの向上」「個人・中小零細企業のデジタルマーケティング民主化」の実現に一歩近づきます。
  • ラクスルさんから優秀な方々にジョインいただきます。

CFOの永見さんは監査役として、管理部全体や資本政策などの強化にご尽力いただき弊社の成長の下支えに寄与いただきます。

マーケティング部長を務めていた安井さんはペライチに100%コミットいただきペライチのマーケティングやカスタマーハピネス(一般の会社でいうCS)周りの担当役員としてユーザーの拡大やユーザーの成長に寄与する仕組みを構築いただきます。

社外取締役として参画いただく白石さんはラクスルの執行役員経営企画部長をされている方で、ボストン コンサルティング グループのプロジェクトリーダーや、PayPalにてストラテジー/SMBセグメント統括ディレクターをご経験された方で、特にペライチ決済周りの強化にご尽力いただきます。

・他にも開発領域、テンプレートの大幅な増加や改善、管理部など、いたるところで適材適所さまざまな方にご協力をいただき、ペライチのサービスと会社の成長に寄与いただく予定です。

・ペライチとラクスルのそれぞれのサービスの連携も検討していきます。ユーザーの皆さんの成長や目的の実現にさらに寄与できるよう、努めて参ります。

・サポーターさんにとっても、よりご活躍いただける環境を整えていきます。さらにペライチの認知はこれから大きく向上することが見込めます。そうなれば、サポーターの皆さんのご活躍の場が増えると確信しています!

 

 

ペライチ創業からこれまでの想い、そしてこれから...

2014年4月21日、3人でペライチを創業し、ちょうど1年後の15年4月21日にサービスとしてのペライチをリリースしました。その後、約5年と5ヶ月、多くの方々のご声援、ご支援、ご尽力を賜り、ここまで成長してこれました。

 

しかしペライチのポテンシャルはまだこんなもんじゃありません!!!

全ては我々のビジョンの実現のため、私達はこれからさらに成長してゆかねばなりません!!!

 

これからペライチはまさに第二創業期」に突入します!

 

我々が実現したい世界のために、我々が応援したい皆様のために、応援してくださる皆様のために、そして家族だと思っているスタッフや巣立っていったスタッフたちのために!

 

私達はこれからもペライチというサービスを、ペライチという会社を、さらに成長させ、社会をより良くしていくことをここに誓います!!!

 

「新生ペライチ」をこれからどうぞ宜しくお願い致します!!!

 

 

最後に

ペライチでは第二創業期の成長を一緒に支えてくれるメンバーを募集しています!!

 

https://www.wantedly.com/projects/503917
https://www.wantedly.com/projects/504800
https://www.wantedly.com/projects/504803
https://www.wantedly.com/projects/504807

 

ここに載せている募集以外にも多方面で募集していく予定なので、お気軽にお問い合わせください!!

 

新経営陣の集合写真

 

本件に関する公式リリースはこちら

 https://peraichi.com/news/press-20200910

【無料サービスをつかう全ての人へ伝えたいこと】

ポジショントーク感あって好きじゃない。けど、これだけは言わせてほしいんだ。
無料サービスを頑張ってつくってる人たち、素晴らしいサービスを提供している人たちを代表してさ。
 
ペライチをやっていてもどかしいことの一つに
『タダでなんでも手に入る世界の一端を担っていること』
があるんだよ。
 
とっても簡単で、便利で、利益にすぐつながる。しかもそれが無料で!!
 
聴こえはとてもいいよね
そして僕らは「多くの方にチャンスを与えたい!」
本当に心からそういう想いでサービスを提供している。
 
でもね、それを「当たり前」だとは思ってほしくないんだ。
その影にリスクを負って世の中のために頑張っている人や、みんなの笑顔がみたくて頑張って開発している人や、そのサービスをどうやったらみんなに理解してつかってもらえるかを必死こいて毎日毎日考えている人の存在を少しでも感じてほしいんだ。
 
それを感じる優しさだったり感謝があってはじめて「使う権利」があるんじゃないかな、とすら思うよ。ペライチ以外のサービスもそう。「産みの苦しみ」をわかってるからさ。
 
そんな人たちの苦労だったり、辛さだったり、想いがわかるからさ、それを想像するだけで涙がでてくることもあるもん。
 
 
その人たちは、そのサービスを無料だったり低価格で提供するためにどれだけのリスクを背負っているか知ってるか!?!?
 
ペライチだって地方のお金のないITリテラシーのない人を助けたくて簡単に無料で提供したいって想いだけで5億円近くの出資や融資を受けてさ、それだけのリスクを負ってさ、俺がペライチって名前をつけてから7年以上も経つんだぜ?その間、数百人の人が関わってくれてんだぜ?
みんなの笑顔がみたいために借金してさ「やばい会社の銀行残高あと数十円だ。。どうしよう。。」とか「このままだと◯ヶ月後には資金ショートしちゃう。スタッフ食わしていけない。。どうしよう。。」なんて時代もあったわけだよ。それでいてペライチだってまだまだ赤字会社なんだよ!?!?(※ちゃんと黒字のメドは立っていますのでご安心ください)
 
ペライチなんて氷山の一角だよ。
俺がつながってるだけでさ、しかも東京だけで何百人のスタートアップの創業者や経営者仲間がいることか。
 
いろんな奴等が世の中を良くしたくってリスク背負ってさ、想い込めてさ、それこそ何万人、何十万人って人が想いや魂や情熱を込めてさ、大切な命を削ってさ!そしてそこにたくさんの投資家がその想いや夢を応援してさ!!
 
つまりたった一つの無料サービスでも「そんだけの想いの上に成り立ってる」ってことなんだよ!!!
 
その想いだったり苦労だったりを感じてたらさ、そりゃ泣けてくるよね!?!?
 
でもね、それを感じないとさ、こういうこと簡単に言えるわけよ。
「え!?無料じゃないの!?」
「たったこれだけで500円!?高いわ!!」
「あのさー、ここバグなんだけど!早く直してよ!」
「勘弁してよ!こっちは迷惑被ってんだよ!」
 
いやー、俺は言えねーよ。。どんだけの人が、どんだけの想いで、どんだけの時間を投資してつくっているかを感じちゃったらさ。。無料で使わせてもらっているサービスにクレームなんて言えるわけがねぇよ。。。
 
そのサービスを提供してくれるだけで「ただ、ありがとう」だよね。。
世の中に生まれてきてくれるだけで「ただ、ありがとう」なんだよ。。本当に。。
 
俺はプロダクトやサービスはつくれねぇからさ、想いと魂を込めることしかできねぇからさ、本当に生み出せる人をリスペクトしてる。エンジニアすげえな!!!って。デザイナーかっけぇな!!!って!!!!
 
彼らや彼女たちがどんだけのプライドをもって、そのサービスをつくってるか見たことはあるか!?!?
どんだけの想いでそのサービスをつくっているか知ってるか!?!?
どんだけあなたの幸せを想像してサービスつくってるか1ミリでも想像したことはあるか!?!?
ときには自分のプライドを捨ててまであなたのために機能をつくっていること知らねぇだろ!?!?
 
そしてそうやって生まれたステキなプロダクトを届けるためにどんだけの人が脳みそがちぎれるくらい考えて、ときには悔し涙や嬉し涙をながしながらがんばっているか!!!!
 
ってことなんですよ。。
それを見たこと無い人に「俺らの気持ちわかれよ!!!」とは言いません。
でもね、少なくとも「そういう苦労だったり想いの上にサービスって提供されてんだな」ってことは頭の片隅に置いといてほしい。
そしてサービスをつかうときにほんの一瞬でも「このサービスを私たちが使うまでにどんな人がどんな想いでどんな苦労したのかな?」って思い出してほしい。
そして一言でいいんですよ。たった一言で。
 
「こんな素敵なサービスを生んでくれてありがとう」
 
その一言だけで俺らはうれしいの。
もうそれだけで疲れがふっとぶのよ!
あと、できれば有料もつかってほしいけど!笑
でもね、その一言が最高の報酬なんです。本当に。
 
それが私の想いです。素晴らしいサービスを提供する全ての人に報いたい私の想いです。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
乱文失礼いたしました。

個人と地域のブランディングの本質について〜働き方改革の前に「生き方改革」「在り方改革」を!〜

世界中の誰もが見たことのない人口減少・少子高齢化という景色をみている日本の今は「自分にとっての本当の幸せ・豊かさとはなにか?」を再定義するターニングポイントでもあると思う。

 

働き方改革もそのいちピースだが、働き方改革の前に「生き方改革」「在り方改革」をやるべきだ。

 

本来、働くことや事業というのは、自分の生き方や人生の理念やビジョンがあって、そこに紐付いてくる。どう生きたいかがあって、どう働きたいか・何を仕事としたいか、がその後にくる。

 

だから、一人ひとりが「どう働きたいか?」を考える際にはその前に

「どう生きたいか?」「どう在りたいか?」「人生においてなにを生んでなにを遺したいか?」

を考えてほしいんだ。

 

 

会社においても、そう。会社の理念やビジョンの前に、経営者お一人おひとりの人生における理念やビジョンを言語化し、それをもとに生きること。それが生き生きとした魅力的な会社をつくる鍵を握っていると思っている。

(創業社長よりも二代目以降の受け継いだ側の社長は特にそのギャップに苦しんでいる)

 

人によっても、同じ人でもステージによっても「理想とする生き方」が変わってくる生き物。どう生きたいか?を考えるときに重要になるのが「どこで生きるか」だ。つまり地域というのは大事な選択肢になってくる。

 

 

注目を集めている「定額で日本中の住宅に暮らせる」を目指すADDress(代表取締役社長:佐別当隆志さん)みたいな取り組みはもっと広がるだろう。LIFULLさんが主導する空き家バンクの整理や空き家の見える化ももっと進むはず。

 

その先に人は、いつでもどこでも住める「Living Anywhere」という価値を手にすることができるのか?私はまだそれだけでは不十分だと感じている。なぜか?「どこでも住める環境」が整っても肝心の「どこに住みたいかを”選べない”」からだ。

 

 

これってペライチにも似ている。日本中にインターネットというインフラは整っているのに、日本中の事業者の10%もインターネットを活用できていない、というのが実態だ。そこに我々はITだけでなく「信頼できる地元の人」を通してペライチをきっかけに「優しくITをインストールする」ということをやっているのだ。

 

「選択肢がある」ことと「選べる」ことは違う。まずは選択肢を用意し、そして選べるようにしなければいけないのだ。そのためには、各地域地域の「魅力を見える化すること」が大事。そのために全国の自治体がこぞって自分たちの地域の魅力をブランド化し、それをPRしているのだ。

 

 

一方で、これは個人にも言えることだが、ブランディングというものを履き違えている自治体・首長さんがとても多い(そもそも一般的なブランディングという言葉自体があまり好きではないんだけど。。)。

 

その典型的な例が「自分の地域にないものをとってつける」である。東京ナイズもその一つだし、よくある「便利な某モールを誘致する」とかもその一つだろう(笑)もちろん、生活が便利になること自体は全く否定はしないが、それではブランドにはならない。

 

 

ブランディングとは、マーケッター的に平たく言うと

「人々の脳内SEOで1位をとること」なのだ。

 

つまり「尖ること」が大事なのだ。それをビッグワードでとるのかニッチワードでとるのか、それはその地域(やその人)の自由だ。

 

しかしながらいずれにしても尖らないと意味がない!!尖らなければいくら選択肢の一つとなっても「選ばれない」のだ!だからこそ「よそのものをとってつける」ではブランドたりえないのだ。

 

 

本当のブランディングとは、よそからてきとーにキーワードをとってくるのではなく、まずは自分の地域の魅力(独りよがりのやつじゃなくね)を知り、価値に気づき、それをキーワードとすること。つまり脈々とその地域で受け継がれてきた「伝統」「文化」「その地域の当たり前、でもよそからみた当たり前じゃないもの」これこそがブランドの種になるなのだ。

 

ブランドコンサルタントの守山さんが『ブランディングとは「らしさ」を際立たせること』と仰ってたが、本当にそのとおりで『「らしさ」を際立たせて、尖らせて、人々の脳内SEOで1位をとること』なのだ!

 

 

そして、地域の魅力を引き出すためにしばしば質問をする。そのときによく耳にする「あなたの地域の魅力を教えてください」は普通の質問である。でてくることは大体知ってるから、だ。

 

でも私が一番驚くことがバンバンでてくる魔法の質問は「あなたの地域の”当たり前”を思いつくだけ教えてください!」だ。経験上これが最強だ!なぜか??

 

あなたの町の当たり前を教えてくれたら、全国を見てきた私がその中から”当たり前じゃない”ものを教えてあげるよ!」ということだ。

 

当たり前なくらいに文化や習慣になっていて、かつ「外からみたら当たり前じゃない」これが一番レバレッジが効くのだ。

 

 

例えば、1月に佐賀県の有田町の町長の松尾さんとランチしたんだけど「あなたの町の魅力ってなんですか?」だと大体「有田焼」がでてくる。それだと「ですよね!」になる。

 

でも「有田町の皆さんの当たり前ってなんですか!?いろいろ教えてください!」っていうと凄いのがでてきたんだ…例えば

 

「有田町の川の河原には、普通に数百年前の陶器の破片(貴重な文化財)が落ちてるのよ。しかもそれを勝手にもち帰ることは条例違反になるから!」って。。「おもしろい!!!そんな町はきいたことない!!」ってなるわけです。それは全然当たり前じゃない!!笑

 

 

このように「地域の当たり前、でも外からみたら当たり前ではないもの」を磨いて磨いて尖らせていくことこそが、結果的に、その町や自分の強烈なブランドになるのだ。

 

だから地域も人も、まずは己を知ること。

 

どう生きたい?どう在りたい?を知り、自分の魅力を知り、それが独りよがりなものではなく、他者からみた相対的な評価として、認識すること。

 

そしてそれを磨いて磨いて尖らせていくこと。それが結果的に「大きな価値」を生むのだ!

 

皆さんは

「どう生きたいですか?」

「どう在りたいですか?」

「この世に何を遺したいですか?」

東京で売れるものがなぜ地方で売れない(逆も然り)?東京脳と地方脳のすゝめ(21.01改定)

先日、私のツイッターアカウントにて投稿した内容が

とても好評だったのでブログにまとめようと思う。

 

東京ではじめた事業が上手くいき、地方に展開したいと思ったとき、

そのほとんどの場合、上手くいっていない。それはなぜか?

 

いい商品やサービスが東京で売れるからといって、

地方でも売れるとは限らない。それはなぜか?

 

その逆もまた然り。

 

それは「あること」を双方に理解していないからだ。

これから、地方に生まれ地方で育ち、

東京で起業し、日本全国をこの脚で歩き、

「地方に強いサービス」を生み出すことができた私が、

その「あること」の秘密について公開しようと思う。

 

そこには「東京脳」と「地方脳」の違い

とも言うべき感覚の相違があり、

お互いにこれを理解し受け入れない限り

「噛み合わないコミュニケーション」

をやっているようなもので、

いつまで経っても相容れない状態が続いてしまう。

 

東京側(と一部の地方都市の方)と地方側

「どちらが良い、悪い」という

二項対立的な視点ではなく

「どちらもそれぞれに素晴らしい」

と思う方々が増えてほしい。

そして地方と都会の双方の誤解が解け

お互いの円滑なコミュニケーションの架け橋になれればと考え

本記事を公開したいと思う。

 

 

東京で売れても地方で売れない…なぜそれが起こるのか?

 

それは東京と地方の「経済と価値観の違い」を理解していないからだ。

 

一方でなぜペライチは、地方で圧倒的に受け入れられているのか?

 

それは私が東京と地方の「経済と価値観の違い」を理解しているからだ。

 

 

東京の経済と地方の経済が違う??

同じ資本主義だろ!!

 

という意見があるかもしれない。

 

でも資本主義という「フレームワーク」は同じでも「ソフト(中身)」が違うんだ。

地方で成功したい人はココを理解しておかねばならない。

 

 

さて、閑話休題、そろそろ本題に。

 

東京は、メリットとか商品やサービスの価値で勝負しやすい。

マーケティングも効きやすい。

いわば「価値経済」がベースだからだ。

 

一方で地方はそれが通用しづらい。

なぜならば地方は「信用経済」がベースだからだ。

 

 

信用経済がベースの地方において、商品やサービスの価値である「何を買うか」よりも

「誰から買うか」の方が価値が高い場合が多い。

 

ペライチで例えると

 

「ペライチはよくわかんないけど、◯◯さんが言うんだったら使ってみるわ」

「◯◯さんがサポートしてくるからあなたにお金を払うわ」

 

そういうことだ。

 

 

そもそも、東京や都会の人たちの方が「価値に敏感」だ。

一方で地方の人の方が「価値に鈍感」だ。それはなぜか?

 

それは、地方が

「あげること(贈与)と、もらうこと(受領)が当たり前」

だからだ。

 

 

地方の有料セミナーで人が集まらないってのはそういうことだ。

「情報はタダだと思っている」からだ。

 

「えー!友達なのにお金とるのー!?うそー!?」

 

そういう感じだ(笑)

 

 

ちなみに「地方は物ぶつ交換の文化だ」ってよく言われるよね。

でも地方出身者の私から言わせると「その感覚は違う!!」と叫びたい。

 

交換になるのは「結果」であって、

「それを求めている」わけではない。

 

正確には地方は「お互いに与えあっている」のだ。

  

 

「物ぶつ交換」というのは、

交換することを前提として「こちらの提供する価値」と「相手の提供する価値」が

釣り合うもしくは許容の範囲内に収まることで「交換が成立」している。

 

地方というのはテイクするために(何かをもらいたいから)ギブするのではなく、

ギブしたいから(与えたいから)しているのだ。

 

 

つまりお互いにギブしているのであって、

結果だけみると「交換になったように見える」のだ。

 

でも実際は交換ではないから「相手からもらうことを期待していない」のだ。

 

 

例えば、私が田舎の人で、魚を釣ってきて近所の鈴木さんにあげたら、野菜をくれた、としよう。

私は野菜をもらいたいから魚をあげてるわけではなく、あげたいからあげたのだ。

 

地方は「価値交換」ではなく正確には「与えあっている」のだ。

 

 

信用経済がベースの地方において、

信用のある人同士の贈与は「当たり前」に行われる。

同時に「受領」も当たり前に行われるのだ。

 

そしてその贈与と受領は、

固定の誰かから誰かへ一方通行で行われるものではなく

インタラクティブ(双方向)に行われるものである。

 

だからこそ地方の人は

「あげることも当たり前」であり

「もらうことも当たり前」なのだ。

 

 

あげることも・もらうことも当たり前だからこそ、

地方の人は「モノやサービスの価値」に鈍感であり、

それよりも村社会における信用の方を価値が高いと感じるのだ。

 

つまり地方とは、モノやサービス自体の価値よりも

「人々の “善意と信用” によってモノやサービスが流通する経済」

と言える。

 

 

それを踏まえると、

ペライチはツールとしてのバリューはさることながら、

サポーターという方々をベースとした

「信用を大切にするサービス」だからこそ、

日本中に、特に地方に広まっているのだ。

 

言い換えると「ツール」でしかないペライチが、

サポーターという「信用のフィルター」を通すことで

地方に受け入れられている、ということだ。

 

 

しかも本来であれば我々が最低数ヶ月、

場合によっては数年かけて積み上げるべき信用、

これをサポーターさんが我々の想いに共感することで

力を貸してくださっているのだ。

 

同じユーザー(やペライチではサポーターも)でも、

東京と地方では「感じている価値が違う」のだ。

この違いを理解していない人が多い。

 

 

この東京と地方の違いは、

ペライチが大切にしている「コミュニティ」においても

顕著に現れ、ケアしないといけない。

 

最近はコミュニティという言葉がバズワードのごとく

いろいろなところで使われており、

コミュニティの専門家なる人たちも出現してきた。

 

正直に言おう

「その辺のコミュニティの専門家よりも、

私の方がコミュニティを正しく語れる」

と思う。笑

 

 

大抵のコミュニティ論は東京を中心とした感覚のものが多い。

ひとえにコミュニティと言っても、東京と地方ではかなり違う。

全国的に展開するコミュニティの場合、そこを理解しておかないといけない。

 

その違いを説明するためには、まず、

東京(や一部の地方都市)と地方(いわゆる田舎)での

「人の誕生の瞬間」から考える必要がある。

 

 

都会において、人が生まれるとき、その人は「個」として生まれてくる。

隣に住んでいる人の素性すら知らない分断された社会において、

地域という概念は希薄化し、生まれたときから個を強く意識するのが都会だ。

 

だからこそ都会は「好きなことで生きていく」だったり

自己実現をしよう」みたいな生き方だったりコピーは刺さる。

コミュニケーションの主体が「個である自分」だからだ。

 

 

だからこそ都会は、自分を生きる的な生き方が「すばらしい」と称賛されやすい。

東京には起業家だったりスタートアップが多く生まれるのは、

こういう背景も一助となっていると思っている。

 

このような社会においては「自分がまず幸せになる」という意識が大事だ。

 

 

一方で、地方(田舎)はどうか?

地方は生まれた瞬間から「誰々さんちの子ども」なのである。

 

つまり、この世に生まれた瞬間から「集団の一部」であり、

常に「集団を意識したコミュニケーション」が必要となるのだ。

 

だからこそ「自分一人が幸せになる」や「自分の会社だけ成功する」

という意識ではなく、

「みんなで一緒に幸せになろう!俺がんばるからさ!」

というコミュニケーションが重要になるのだ。

 

そこを間違うと「でる杭」は打たれる。

ハレーション(反発)が起きるわけだ。

 

自分だけ成功しようと思うと、周りは嫉妬ともゆうべき感情をもつ。

地方で成功するためにはこの

「地方特有の嫉妬のマネジメントを怠らない」

ことも重要だ。

 

 

しばしば、東京の起業家が「東京っぽい価値観」のツイートをしたら

「お前は自分のことしか考えてない!」的な批判をしている人をみる。

 

そのような人は地方の人が多いような気がしている(笑)

それくらい価値観やコミュニケーションへの配慮が違うということだ。

  

 

ちなみに、都会においても「家族」というのは特殊なもんで、

集団としてある種の「地域っぽい特性」をもっていて、

家庭の外では「自分を生きる」が称賛されている東京においても

家庭内では「家族のことも考えろ!」となることを押さえておかないと

「嫁ブロック」「姑ブロック」みたいなことが起こるのだ。

ここは注意が必要である。

 

 

地方というのは元々は、閉じたクローズドな場所(地域)のなかで信用によって経済が回っていた。だからこそ、昔は地方は経済的にも豊かで、地方には二代目、三代目など何世代にも渡って受け継がれる会社が今でも多く存続している。それは信用が相伝されてきたからだ。

 

京都や一部の島国は特にそれが顕著だと感じる。そういう社会やコミュニティでは、いくら東京の感覚で価値が高いものを売ろうとしても、たとえ全く同じものを安い金額で売ろうとしても信用がないと売れないのだ。

 

「あなたのその商品、私ならあなたの既存の取引先の8掛けで卸せますよ!そしたらもっと安くお客さんにも提供できて利益ももっとでますよ!」

 

こんな文句は、東京であれば効果てきめん、すぐに商談成立である。

しかしながら、信用を極度に重んじる経済においては、実はこうなる。

 

「はあ!?バカいってんじゃないよ!!

○○さんのところはね!祖父の代からお世話になってんのよ!!

だから私たちは地域のお取引先の皆さんから高く買うために

信用(ある種のブランド)を大切にして高く売ってるのよ!!」 

 

昔ながらの地方の地域やコミュニティの経済をシンプルに言語化するとそういう感じだ。

だから発想の起点が東京の人たちとは逆なのだ。

 

自社が利益を得たいから安く買って高く売る、ではなく、

「お互い様でお取引先も守りたいから」高く買って高く売る。

なのである。

 

しかしながら、残念ながら、この信用経済というのは、それをとりまく日本全体の景気が悪くない状態(個人や企業が余裕のある状態)にこそ上手く機能する。

 

残念ながら今の日本は、バブルがはじけ、景気は踊り場どころか、下降しかけているのが実情だ。その社会において地方を代表する信用経済は、企業や個人の経営や生活が苦しくなることで「信用よりも価値を優先する」ということが起こってしまう。

 

つまり「信用経済の価値経済化」である。

 

さらに、ITの浸透はそれをさらに加速させてしまった。

 

私の両親が営んでいる印刷業界で例えると「印刷は山下さんのところにお願いしたい!」でなんとかなっていたものが「ちょっとうちも苦しくなってきたんで、紙やめてネットにします」とか「コストカットしなきゃなんで、申し訳ないですが安いネット印刷に切り替えます」になっていくようなものだ。

 

ひと昔まえは、消費のほとんどが地域でなされていた。

閉じたコミュニティでお金はながれ、外にでていかなかった。

流れれば流れるほど、地方は潤い、だから地方には小金持ちが多いと言われていた。

 

しかし今は違う。

消費の多くが地域でなされなくなってしまった。

 

ケータイやインターネットの通信料、

ゲームやスタンプなどのデジタルコンテンツに課金し、

お金のかからなかったテレビではなくお金のかかる動画サービスを観あさり、

身近な商品ですら、大手のチェーン店やネットで買っちゃう時代。

 

気づけばそのお金の落ち先はあなたの住む地域ではなく「東京や海外」になってしまった。

 

そのお金の行き先はどんな奴等か!?資本金を多くもっていたり、マーケティングに強い、価値が何かを知っている、そういうプレイヤーにお金が流れてしまったのだ。そういう企業が地方の信用経済のもろくなった部分を突き刺して地域企業をどんどんひっくり返していったのだ。

 

ーー(ちょっとペライチの創業からの想いの話)ーー

だからこそペライチは創業当時から一貫していい続けたのは「我々は教育の会社だ」ということ。

 

ペライチというツールをただ提供して終わり、ではなく、ツールを使うなかで、そしてペライチサポーターを通して、地域の方々自身が成長していくような仕組みになっている「教育サービスを提供する会社だ!!」といい続けたのだ!

 

今こそ!地方にこそ!対処療法的なサービスではなく、教育という根本治療が必要だと創業前から私は思っていたからだ!

 

ペライチと他社のサービスは何が違うのか!?

それはその圧倒的な想いと圧倒的なアプローチの仕方が違うのだ!!

 ーー(ちゃんちゃん、ペライチの話はここまで)ーー

 

 

起業前に私が観た「地方が疲弊していく様」は、ぐるぐる回っていたそうめん流しの機械の底のいたるところから水漏れが発生してきて、流れる水の量がみるみるうちに減ってきた。そんな寂しい光景のようだった。

(ちょっと例えが古くてごめんなさい、昭和生まれなんで笑)

 

 

だからこそ、地方自治体や地方企業こそ!

マーケティングを「武器として」使えるようになってほしい!

そう切に願い、説い続けてきた!!!

  

なぜならば、徹底的な顧客視点を身につけることで、

 

①矛として

自分たちの地域の魅力を知り、そして自分たちの地域では無価値なものでも外部の価値を感じてくれる人たちに魅力的に届けることで価値を生みだす(無価値の価値化)。さらに、自分たちの地域内においても、価値を提供する意識をもつことで、信用経済のなかで、さらに信用を深めることもできる。

 

②盾として

マーケティングを身に着けた外的(主に都会や海外の企業等)から身を守るため。信用経済がベースになった地方においても、経済的に苦しくなってくると、あらゆる企業や個人において「信用」よりも「価値」を優先してしまう。その点で、地方においてもきちんとマーケティングリテラシーを上げておき、きちんと「価値も提供する」という意識やスタンスが重要なのだ。

 

 

このようなことから、都会でいくら価値があって売れている商品やサービスでも、都会と地方における経済や価値観やコミュニケーションの違いを理解しておかないと、地方展開はなかなか困難だ、ということがわかってもらえただろうか?

 

逆の地方においても、ネットを活用し都会も含めた広い範囲で拡販をしていくとき、ただ売り方だけをテクニックやツールでおぎなっても「売れずらい」ということだ。誤解を恐れず言ってしまえば、地方の狭い地域においては価値をさほど生まなくとも信用で物は売れる。

 

しかしネットの世界では同様の商品・サービスは溢れかえり、信用も全くないなかで買いたいと思ってもらわないといけないのだ。

 

しかも「価値に敏感な人たち」に。

 

だからこそ「私たちの(商品orサービスor地域の)価値とは何か?」を問い詰め、自分たちでその答えを勝手に導くのではなく、素直にその答えをもった相手に聴いてみること(歩み寄ること)が大事なのだ。

 

 

地域課題の解決においても、地域の者とよそ者がうまく連携してかねば、深刻な課題ほど解決が難しい。今や地域といえど「人も物も金も情報も」全てその他の世界とつながってしまっているのだから。地域のなかだけで解決してやる!と思ってもなかなか難しいのだ。

 

そんなときにも今日のこの記事を、一瞬でもいいから思い出してほしい。

 

 

東京(および一部の都会)と地方のどちらが良い悪いというわけではなく、

違うことをお互いに理解をして尊重することがとても大切です。

 

前述の「物々交換」に例えた話しを例にとって理想の姿を説くならば、

 

「あげるときには相手のことを想い、相手の喜ぶものを贈り、

 もらうときには何をもらっても喜べる素直な心をもとうね。」

 

という感覚かもしれない。

 

それが東京脳、地方脳、両方の素晴らしい感覚を理解し、体現する姿かもしれない。

 

今回の投稿がそれを体現するきっかけとなれば幸いです。

 

 

そしてもう一つ、今回の投稿で知ってほしかったことは……

 

「ペライチサポーターって凄いんだぜ!!!」

 

ということだ(笑)

 

長らく休止していたペライチサポーターの新規申し込み、2020年12月にやっと再開したのでサポーターになるなら今がチャンス!!!

 

興味がおありの方はコチラを見てね!!!

https://peraichi.com/landing_pages/view/evangelist47

なぜ私は弱者を応援したいのか

まず掲題の前に、少しだけ余談を。

昨年全くブログをかかなかったのにこんなに連投するなんて想像もできませんでした。

でも声帯結節になって声がだせなくなって、想うことがあったんです。

 

「 何かを失うということは、必ず何かを得るチャンスがある。」

ということ。これをこの好機を損失するのも自分であれば、それを期に自分を変え、新たな何かを手に入れるのも自分。

 

前回の記事が現時点でアクセスは数千にのぼり、Facebookだけでいいねとシェアを900くらいもしていただいている。それだけ共感や何かの気づきに繋がってくださったのは素直に「嬉しい」と思いました。

 

前回の記事↓

saga-world.hatenablog.com

 

私は特にここ数年は「直接会って対面で向き合う」ことを重視してきました。だからこそ多くの方から信用をいただいたと思っていますし、その事自体に後悔は微塵もありません。しかしながら、忙しさにかまけて本来好きな「書くこと」だったり「発信すること」にあまり時間を割いてこなかったということも、今回の件で認識しました。

 

「記す力」って本当にすごいと思っています。古代文字なんて数千年もの時を経て、今もなお遺っており、それを情報として解読できるレベルで継承されている。宗教の教典や聖書などもそうで、人々の想いが脈々と受け継げられている。これは本当に凄いことだし「記すことの大切さ」を改めて考えました。

 

私は記すことの大切さを、実は、既に十数年前に痛感していたはずなんです。それはなにか?

 

私の恩師であり世界で一番尊敬し、世界でただ1人憧れた存在「こんな大人になりたい!」そう心から思えた人。古賀武夫先生がそれを生前教えてくれていました。

 

武夫先生は私が24歳の頃、大学院生を卒業する頃、これから社会人としての一歩を踏み出す頃、ガンでお亡くなりになられました。私はそこで一度人生の目標を失い、心は一度そこで死んでしまったのです。

 

途方にくれ「もぬけの殻」になったとき、もう一度私に活力をくれたのもまた、武夫先生のブログでした。つまり先生は、私に「死ぬということ」と「生きるということ」この人生における大きな2つのテーマを、私に問うてくれたのです。そして先生のお陰で私は「死ぬということ」「生きるということ」「人の本当の幸せや豊かさとはなにか」を人生をかけて問い、いろんな経験をし、いろんな世界をみて、そこに自分なりの「解釈」を与えることができたのです。

 

その後、私は社会人になってからも、幾度となく先生のブログを読み返しました。ペライチを起業してからは、さらにさらに深く読み返しました。

 

特に、

人生における大きな選択をするとき。

自分の判断によって組織や社会に大きな影響を及ぼしてしまうとき。

理想と現実のはざまでもがき苦しんだとき。

そんなときはいつも武夫先生のブログを読み返し

「もし武夫先生が目の前に現れたとしたら、自分は100%自信をもって胸を張れる判断をできただろうか?」

常にそれを自分自身に問うて生きてきました。

 

武夫先生のブログはこちらです(いまちっぽけな私のブログなんかを見るより100倍心に響きます)。山下マニアの方はぜひ見ていただけると嬉しいです。

blog.goo.ne.jp

 

 

先生のブログは文章に生き様が、魂が現れています。まさに言霊です。刻一刻と迫り来る死に、最期の最期まで弱音をはかず、太陽のように明るく、いつも自分よりも地球のこと世界のことに想いを寄せ、発信されていた。

 

先生のブログをみたら、いまだに見た瞬間から涙が止まりません。ずっと泣いてしまいます。そんなブログを先生以外のブログで見たことはありません。そして同時に、先生のブログはとんでもない活力もいただけます。

 

「俺はまだ生きてる!!!!生きてるだけで丸儲け!!!!」

「こんなちっちゃなことで悩んでる場合じゃない!!!!

もっと視座を高く!もっと視野を広くそして深く!もっと遠い未来を見据えて思考と行動をしなければならない!!!!

「俺が生きているうちに必ず先生の夢だった世界平和を実現するんだ!!!!」

 

 

そして、つらいときは

 

「翔一!今ここで頑張らんで、いつ頑張っとか!!!!!!」

「ツライときこそ笑え!!翔一!!!ガハハー!!!!!」

 

と先生が言ってくれる気がします!!

 

リーダーというのはとても孤独だと言われますが、確かにそうかもしれません。

しかし、今の私には日本中に、いや、世界中に同志がいる。

ちっぽけな私ではできないことも世界中の同志の力を借りたら無限の可能性が広がる。

 

そして心の中にはいつも恩師がいる。

恩師の言葉がいつも見れるところにある。

こんなに心強いことはありません。

 

だからこそ「俺は何でもできる!!!!!古賀武夫が生きていたら笑いとばしてやっていたはず!!!!!俺は古賀武夫を超えると誓ったんだ!!!!!こんなところでつまづいてなんていられない!!!!!まず笑おう!!!!!!」何があっても、そう思えるのです。

 

そう、やっぱり「記すこと」は本当に凄いこと。

文字には本当にすごいパワーがある。

私はほとんど本を読まないけど、偉大な経営者たち、先人たちの本にはたくさんの知恵と勇気をいただいた。

それをもう一度「声がでない」というチャンスが、教えてくれたのかもしれません。

このタイミングだからこそ「記そう」と思えたのかもしれません。

 

だからこそ、自分の想いを「遺したい」そう思ったのです。

自分が明日死んでも、今までに記したものは「遺る」

 

つまり肉体は滅びても、自分の意思は文字を通して遺りつづけ、いつの日か誰かに勇気を与えたり、誰かに居場所を与えたりできるものになったらステキだなと思っています。

 

なのでこのブログで改めて、私の普段語っていること、そして語らないことも記していきたいと思うので、しばしこの旅にお付き合いいただけますと幸いです。

 

 

さて、前置きだけで1回分になってしまいましたが(笑)

本題に入ります。

 

「なぜ私が弱者を応援したいのか」

「なぜ私はいま弱者を応援しているのか」

 

結論から言うと、

 

①私自身が弱者だった(幼少期に裕福ではなかった、仕事が全くできない落ちこぼれだった)

②誰にも負けないネガティブな子どもだった

③そこから変われた自分がいた、だからそういう人を助けたいと思った

④弱さを知るものこそ、優しさを兼ね備えた真の強き人間だと思う

 

だからです。

 

実はこれ、ほとんど話したことがありません。

上記の問いに答えるには、まず自分の幼少期について話さなければなりません。

断片的に話したことはあるかもしれないけど、私の幼少期の闇の部分を話したことがある人はごくごく一部な気がします(親にすら言ってないこともあるかと)(笑)

 

けっこう貧しかった幼少期時代

私は1983年に佐賀県佐賀市に生まれました。佐賀への愛が人一倍強い人間です。

 実家は、本当に小さな町の印刷会社の2代目社長である父と、母が取締役で、そんな二人の背中をみて育ったのです。

 

土日祝日を問わず働き(特に母ね、父はよく釣りにいってました笑)、母の車の助手席にちょこんと座ってお客さんのところにいき、可愛がってもらっていました。

 

いまでこそ、創業65年目で従業員さんも30名近くいてくださる会社に成長できていますが、幼少期は本当に全然裕福でもなくて、外食なんてほとんどしたことがなかったし、朝起きたら台所で朝食をつくる母の隣りでスーパーのカゴみたいな洗濯カゴをひっくり返して椅子にしてそこに座って「ねこまんま(ご飯に味噌汁をかけたやつ)」を食べるのが好きでした。

 

小学低学年くらいまでは、お腹が減っていても家に迷惑をかけまいと子どもながらに気を遣い「お腹いっぱい」と言ってご飯のお代わりはあまりしない子どもでした。だからお金がない苦しさとか、やりたくてもできない辛さとか、やりたいことをやりたいと言う申し訳なさがとてもわかります。

 

スーパーネガティブ少年、翔一

私は子供の頃、スーパーネガティブ少年でした。今でこそかなりのポジティブ人間ですが、子どもの頃のネガティブ度でいうと本当に佐賀トップクラスだったと思います(笑)

 

具体的にどういうことを考えていたかというと、

・親と遠出をするときは「ここで車から降ろされたらどうしよう。。」という不安でいっぱいで、最悪自力でも帰れるように家から目的地までの道のりは大体記憶していた。

・夜中に「とんでもない空腹に襲われたら生きていけるだろうか?」と毎日のように思っていた。幼少期はハロー(主婦の店)というスーパーが家の近くにあるくらいでコンビニなんてなかったので夜中の不安がハンパなかった。

・大地震などの天災で九州が本州から切り離されたら、物資の供給はどうなるのだろうか。これも夜に不安すぎて寝れないことが多々あった。

・何かのきっかけで日本が戦争に巻き込まれたらどこに隠れるか、どうやって生き延びたらいいか。

・(当時は両親がよくケンカしたり、たまに母が私を抱えて車で軽い家出をしたりもあったので(笑))リアルに離婚したら、俺はどちらの方についていくべきか。親父は経済的には自立できるだろうし、強がるだろうけど、本当は精神はネズミのような性格なのを知っている。かといってはやっぱり母が心配だ、俺がいなくなったら母はどうなってしまうのか?母からの無償の愛は一番感じていたのでやっぱ母側につくべきか。じゃあ俺が稼がないといけないよな、何しよう。。

・このまま一生モテなかったらどうしよう(大学1年まで彼女ができなかった)。。周りの女子はみんな俺のことが嫌いなんじゃないか。。

・被害妄想が凄すぎて、他人の話とかずっと聞いてたし、ずっと視線も感じてた。

 

とか挙げればキリがないんですけど。

「可能性は低いけど、あらゆる潜在リスクが気になって仕方がない」人間だったんですね。ポジティブにいうと、想像力が豊かだったのです(笑)

 

本当にしんどくて変わりたくて変われた自分

翔一少年はネガティブな自分を本当に変えたかったんですよね。しんどすぎて。。

これって心理的安全性をどう担保するかがすごく大事だと思っていて、私の場合は、


①何があっても裏切らない、否定されない、聖域ができた(家族、親戚、友、空手や英語道場のコミュニティなど)

②自分自身に生きてく力がついた(食べていく力、人を巻き込む力、人の気持がわかる力、信用)

③いい意味で死ぬのが怖くなくなった(恩師の死が教えてくれた)

 

だったんですよね。それで「何があっても大丈夫!生きてりゃなんとかなる!」と思えるようになりました。何も怖くなくなって、嫌いな人もいなくなって、嫌われることも怖くなくなって、そして嫌いな食べ物もなくなりました(笑)

 

だからそういうツライ気持ちがわかるから、変わりたくて変われない人をみると助けたくなるんです。ただ、勝手に変えようとは思いません。そんなことおこがましいので。

  

弱さを知るものこそ、真に強きもの

これもやっぱ恩師である武夫先生の影響が大きいですね。幼少期から習っていた空手の稽古で毎日最後に斉唱する言葉がありました。それは、

 

「強くやさしく、やさしく強く」

 

もうね、これ暗示ですわ(笑)

毎日毎日これを小さい頃から唱えてますからね、宗教ですよね(笑)

でも武道の素晴らしさはそういう精神にこそあると、大人になって本当に思います。

 

強くてやさしさ無き者は、もってのほか。

でも、やさしいが強さ無き者は、大切なものを守れぬ、正しさを通せぬ。

強さとやさしさとは、対になってこそ素晴らしい。

 

これは自分の人生のベースになっている一つの価値観ですね。

これがあるから「やさしさがない強さは意味がない」と思えた。

「やさしさ無き経営は、独りよがりの経営だ」と思えた。

そして、やさしさとは、押し付けることではなく、寄り添えることだ、と。

 

弱かった者は、弱い者の気持ちがわかる。

だから弱い者に寄り添える。

弱い者が強さを手に入れ、やさしさを忘れなければ、また次の弱い者を助けてくれる。

だから私は弱い者を応援したいのだと思います。

 

事業や活動をやるとき、助けたい対象は別に誰を選んでもいいんです。

でもやはり心から助けたいと思える者を応援する方が、一番パワーがでると感じます。

 

私の場合はそれが、地方だったり、高齢者だったり、女性や主婦だったり、子どもだったり。どの側面に弱さがあるかはそれぞれによって変わりますが。

 

子どもの頃から世界平和を目指しているので、最終的には地球上の全ての方に幸せになってもらいたいのですが、まずは身近な日本、そして弱い方からですね。

 

あなたは誰を応援したいですか?

お金=価値だと思ったら大間違い!「お金と価値と信用」について

昨年、ほとんどブログを書かなかったのですが、年も変わり、ちょうど声帯結節で声が出せない状況なので、なんか書こうかなと思っておりました。

 

新年一発目は、商売やビジネスをやる上で理解しておかないといけない『お金と価値と信用』について書きます。

 

仕事柄、年間で何百人と経営や事業について相談に乗るのですが、商売をやる上できちんと押さえておかないといけない、『お金と価値と信用』を勘違いしている人が本当に多くて、そのせいでいろんなところから被害報告を受けています。

 

セミナーで騙された!」とか「◯◯さんのマネしても全然上手くいかなかった!」とか。

 

話を少し聞いてみると、

 

「それってビジネスとして成り立ってないよね!?」

 

ということがめちゃくちゃ多い。

 

 

「自分のやりたいことや好きなことで生きていく」

 

聴こえはいいんだけど、商売において自分のエゴを押し付けることばかりやってませんか?

 

対価をお支払いいただいた方にきちんと価値は生めていますか?

価値を期待してお支払いいただいた方々の期待を裏切っていませんか?

自分や誰かの信用を食いつぶしてお金に変えていませんか?

 

 

はじめに前置きをしておくと、私は本とかほとんど読まないので、このブログは自分の体験してきた感覚を言語化しただけです。

 

なので「あの本ではこう表現してた」とか「それって誰々さんが言ってた◯◯のことだよね」とか言われても知らないのであしからず(笑)

あくまで山下的解釈ということで。

 

 

まず、言いたいのが、ビジネスの100歩手前というか、商売の前に、、、

 

『自分の商品やサービスに愛があるだろうか?』

 

『それらに誇りをもてているだろうか?』

 

『顧客という一人の人間を想いやれているだろうか?』

  

『その相手に寄り添えているだろうか?』

 

ということです。

もし、それらがなければ、商売の以前に、それらをもっていただきたいと思うところです。

それらが商売の原点だと思うからです。

 

 

さて、本題である『お金と価値と信用』について。

 

お金というのは『価値に対する対価』なんですよね。

決して『価値=お金』じゃない。

 

お金ってのは本来、お金を払う側が価値を感じて、

もしくは価値を期待して、それに対して妥当な金額を支払う。

 

予め定価を定めたサービスや商品を買ってくれるということは

原則、購入者がその定価以上の価値を感じた、もしくは期待した、

だからお金を払ってくれるわけですよね。

 

期待したのにそれほどまでの価値を感じなかったら、

リピートしない、もしくは悪い口コミを生む、シンプルですよね。

 

 

そして価値ってのは絶対価値ではなくて、相対価値。

自社の商品やサービスにどれくらいの価値を感じるかは

人によって変わるというのが前提です。

 

だから、私の場合は、今でも何社・何人かコンサルを請けていますが

最低限度の報酬設定はしているものの「定価と契約期間」は設定していません。

 

相手によって自分の提供できる価値が変わるのと

相手の努力によってどれくらいの期間で独り立ちするかが変わるからです。

 

あと、契約が成立したとしても、

報酬よりも自分が提供した価値が下回ったと思ったときは

減額もしくは報酬をいただいていません。

 

「お金」ではなく「提供できる価値」と

それによる「信用」を大切にしているからです。

 

 

お金と価値の関係でいうと、一つ忘れてはいけないのが、

「価値を感じてもらうこと」と「どれくらいお金を払えるか」は

また別問題ということです。

 

これをごっちゃにしてはいけない。

 

世の中、価値は感じているが

「感じている価値ほどの対価が払いたくても払えない」

という人はたくさんいます。

 

そしてその逆で

「さほど高い価値は感じてないが、高い対価を払える」

という人もいます。少ないですが。

 

これは、単純に同じ金額だとしても

「自分のお財布に対する痛みが違う」からですね。

当然、所得の違いや資産の多寡も関係あります。

 

 

そして、ビジネスや商売においてとても大事な「信用」ですね。

 

基本、ビジネスにおける取引は、自身の「信用」を超えては行われない。

 

大きな金額を発注してもらえる、

大きな金額を集めることができる、

それは自分にもしくは自社にそれだけの信用があるからです。

 

たとえ、自社の商品やサービスに価値があると感じてもらっても

社会的信用がなければ発注してもらえないかもしれません。

 

大企業さんなんかにはよくありますよね。

ちゃんと取引先が信用のある存在か?

それが大事なんですね。

 

銀行なんかもそうですね。

どれだけ商品や事業計画が魅力的でも、

信用がないと融資は受けてもらえないですよね。

それだけ信用というものは大事なんですよね。

 

ちなみにペライチも初めは信用なんて微々たるもんでした。

だからこそ、サービスをリリースする前から、

上場会社3社をはじめとする10社ほどと水面下で提携をはかり、

リリースと同時に2週間に1回ほど提携のプレスリリースを打ちました。

 

そうすることで、メディアの方々やユーザーさんや一般の方々にも

「ペライチは上場企業とも提携できるほどに信頼できる会社だ」

という認識がされるようになったんですね。

それによって事業連携がやりやすくなりましたし、

メディアへの掲載も大きく増えました。

 

 

なのでご自身の商売で

「売上があがらない(泣)」

「商品が売れない(泣)」

というときには、

・価値を生めてないのか?

・価値が伝わっていないのか?

・信用がないのか?

こういったことを考える必要がありますよね。

 

 

ちなみに「信用があれば必ずしもモノが売れる」わけでもありません。

 

あくまで、お金は価値の対価。

もちろん、貯まった信用によって「価値への期待」は高まりますから、

新商品だったり新サービスをだしたときには「期待に対してお金を払ってくれる人」はいるでしょう。

 

しかしながら、サービス提供者として意識すべきは、あくまで、

「正しく価値を生むこと」です。

 

でないと「期待したものが期待はずれ」になれば、

一時的には現金化するかもしれませんが、長期的には、

せっかく貯まった信用が減っていくからです。

 

あくまで「お金」というのは「価値に応じた対価」として支払われるべき。

ということです。

 

最近はクラウドファンディング等でも集金はカンタンになりました。

特に信用が高い人や、価値の期待できるプロジェクトについては

大金が集まることも少なくなくなってきました。

 

そんなときでも、お金が集まったから万歳!ではなく

お金を払ってくださった方が何に対して対価を支払ったのか?

を意識してほしいのです。

 

例)

リターンが魅力的だった → リターンで価値を提供しないといけません

企画者の信用で応援した → お金が集まったあとの「行い」の方が大事です

 

お金が集まったからといって、自分の実力だ!とか、大きな支持を得たからなんでもやっていいんだ!ということではなく、お支払いいただいた方々の期待に応える義務があるのです。

 

それをなおざりにしていると、確実に信用は減っていきます。

 

 

ここ数年、こんなに嬉しいことを言ってくださる方がたくさんいます。

 

「山下さんのセミナーは安すぎます!!」

「こんなに濃い内容でこんなに安いのですか!?100万円でも払います!!」

 

これは個人的には嬉しいこととして捉えていますが、

私は、セミナーで儲けようと思っていないし、

極力どんな方も受けてもらいたいと思っているし、

お越しいただいた方の大事な時間とお金をいただいている以上、

「今まで受けた講演のなかで一番価値を感じた!!」

と思ってもらいたく設計しているので、当然といえば当然です。

 

だから1回の講演でも、対象が誰であろうと、どこであろうと、

たとえ報酬がなかったとしても、一期一会、誠心誠意、対応したいと思っています。

 

 

一方で、こんなこともよく聞きます。

 

「こないだ参加したセミナーが◯万円したんですが全く身になりませんでした!」

「コンサルに◯十万円払っているのですが全く売上につながりません!」

 

これ、本当に要注意ですよねぇ。

 

まず「身にならない」とか「売上につながらない」ってのは「結果」ですね。

 

その結果に繋がったことを要素分解する必要がありますよね。

どこに要因があったのかをつきとめるために。

 

・そもそも相手が悪いんでしょうか?

  → 自分は言われたことを行動できたのでしょうか。

    もしかしたら「相性」の問題かも、それを判断できなかった自分の責任かもしれませんよ。

    少なくとも相手のせいにしているだけでは改善は見込めないですよね。

  

・仮に相手が悪かったとして、何が問題だったのでしょうか?

 

 

よくね、セミナー講師とかで見かけますよねこういうキャッチコピーとか実績。

 

スマホで◯◯するだけで収入××万円アップ♪」

「独立後たった◯ヶ月で月商××万円を達成!そのノウハウ教えます!」

「あなたもなれる!1日たった◯分で月収××万円!」

 

よく見るなー、こういうプロフィールの方がFacebookで友達申請きても

私は絶対に承認しないやつですね(笑)

 

 

もし仮に「起業後半年で月商100万円を達成!そのノウハウ教えます!」

とうたっているコンサルチックな方がいらっしゃったとして、

あなたはその方に教えを請おうか迷っているとします。

そんなとき、何を考えたらいいのでしょうか?

 

そもそもですね、その人に信用があるかをきちんと考えないといけないですよね。

 

月商100万円なんて騙したり搾取したりしたら一瞬でいく金額なんですよ。

もう一瞬です。50万円の商材を2つ、100万円の商材を1つ売ったらそれで終わりですから。

 

その人は

・どこの誰で

・どんな価値観をもっていて

・どんな商品・サービスを

・どんな方法で

・誰にどれくらいの価値を生んだ上で

それを達成したのか?

 

これをきちんと理解することが大事ですよね。

本来はお金を払う前に。

 

これ、鍛えたり、信用できる人脈が増えると(リファレンスなんかで)、

一瞬で判断できるようになるんですが、まずはきちんと意識することが大事ですね。

 

 

「100万円を売り上げた」というのは結果なわけです。

大事なのは「お客さんはその人の何に対して対価を支払ったか」が大事。

 

その人の信用によって集まったものか?

はたまた他人の信用を借りて集まったものか?

 

その人自身が生んだものに価値があったのか?

それとも他の誰かが生み出した価値を借りたのか?

 

そして、それらは貴方が実践できるものなのか?

それらは再現性があるものなのか?

再現性はあるが、それはあなたの信用を毀損するものではないか?

 

 

「実績」として見せるのはカンタンなんだけど、

大事なのはその中身。

 

それらはきちんと意識して自分の責任の上で、

判断してほしいと思います。

 

 

冒頭でも言いましたが、個人でもビジネスが簡単にできる時代になり、

「自分のやりたいことや好きなことで商売をしたい!」

そう考える人も明らかに増えている実感があります。

 

それ自体は素晴らしいし、ペライチとしても私個人としても応援していますが、

人様からお金をいただくということは「相応の責任が生じる」ことも併せて

理解しておかないといけません。

 

売上をあげればなんでもいい。

そんな意識では、生きていくために必要な本当に大切な信用がなくなってしまいます。

 

お金をいただく以上、きちんと価値を生み、

その対価として適切なお金をいただく意識をもちたいものです。

 

そしてその価値を生む方法はいくらでもあります。

誰かの商品やサービス、ノウハウをそのまま売ることもできます。

 

ですが、あなたの価値を最大限高める最良の方法は

あなた自身の内に秘める魅力を磨いていくことにこそあると思います。

そのためにはまず、自分の魅力に気づくこと。

 

自分の魅力に気づき、それを日々磨き、価値を生める人になって、

一人ひとりのお客さまに寄り添うことで、小さな信用を積み重ねていってほしいです。

 

そうすれば、お金と信用が正しくついてきて、

あなたの人生を豊かにし、幸せに導いてくれることでしょう。

 

 

最後にもう一度、質問します。

 

対価をお支払いいただいた方にきちんと価値は生めていますか?

 

価値を期待してお支払いいただいた方々の期待を裏切っていませんか?

 

自分や誰かの信用を食いつぶしてお金に変えていませんか?

 

もしできていないとするならば、それは商売ではなく、

「詐欺」もしくは「搾取」かもしれませんよ。